I read SO for tech stuff. I am trying to contribute more, and when the Japanese language beta came out, I racked up 300 points in 3 days. Then I got tired of it. People spend inordinate amounts of time on miniscule differences between two words, when they aren't even conversational. That's not how I would learn a language. When a Japanese person says two expressions mean basically the same thing, I take their word for it; I have bigger fish to fry.
Change of plans: In America we stay...
現実認識: Accepting reality.
I feel much more stable already, though a little sad. There are better reasons for doing things than "because I want to." Especially when other people are involved. I am resolved to throwing myself into the job search, finding a great job and building a great life for Yumi and I. No regrets of the past or fear of the future. I love my wife, love Chicago, love my neighborhood. I am glad I have good friends and family. When I make a list there isn't much I have to be sad about.
人生が変わった夏
皆さんは若いときの夏を考えるとき恋愛や親子に関するものを思い浮かべると思いますが、私は全く違います。これからは13歳の夏の話です。
そ の夏、学校でとてもきれいなクラスメートに気づきました。授業中で先生の話が耳に入れないほど彼女のことをしっかり考えました。夏まで学校でストーカーみ たいな私が彼女のスケジュールを覚えて彼女が歩く周りで潜んでいましたが最終的には自信を持ってあいさつしました。意外にもすぐ友達になりました。毎日学 校が終わって、一緒に帰りました。そのころ私はとてもうれしかったです。
一ヶ月が過ぎて、やっと彼女をデートに誘いました。どきどきして、うまく言えなくても誘ってみました。でもやはり断られました。「ボーイフレンドのことに興味がない」と言われました。肩を落として、家に帰りました。
一週間後に私の親しい友達が彼女のボーイフレンドになりました。友達がいつも彼女といるので一人ぼっちの私は秋まで部屋で窓の外を見ながらとなりの公園で笑っている友達と彼女の声を聞いていました。
その地獄のような夏に人生には苦しみや悲しみがいっぱいあるということを知りました。
正直な話
アメリカに帰る前に一つのことを教えてあげたいと思います。日本語の勉強のきっかけのものです。
1968 年にシカゴの空港で丸善という石油会社に勤めていた日本人の男性がデューティーフリーショップに入って、そこで働いているアメリカ人の女性と目を合わせま した。彼女に手伝ってもらい、彼が泊まっていたホテルに店で買った無税ウイスキーとタバコを持って帰りました。その夜彼は政治家になるという夢を彼女に語 りました。そして、その9ヶ月後に私が生まれました。
私が生まれたことに教えられたとき、彼が怒り出しました。母に「愛人とハーフの子供が日本人に知られたら、政治キャリアがなくなっちゃう!もう二回と私に電話するな」と言いました。
私 は父親のいない子として育ちました。母と貧しい生活しているので、結局、冷蔵庫工場で就職しました。12歳から37歳まで毎日12時間冷蔵庫をあちこちに 運びました。大変な仕事ですけど、たまには冷蔵庫の中で休むこともできました。ある日、同僚が持っていた新聞を見ました。見出しの下にある写真にすぐ気づ きました。隣に座っている同僚は「写真の男の人がお前と似ているよ。日本人だけど。不思議だね。」と言いました。私も驚いて20分ほど何も答えられません でした。その後、決心しました。仕事を辞めて、全部の持ち物を売って、日本への切符を買いました。日本語の勉強が必要なのでアークアカデミーに入りまし た。
日本語が話せるようになったら、怪しい人たちと一緒に行動するようになり、一緒に買収や恐喝などを繰り返しました。そして、政治を左右する人たちとも知り合いになりました。みなさんがご存知のとおり、今回、安部総理大臣が辞めて、私の父である福田康夫が最終的に総理大臣になったのも計画どおりです。
本当はパパに会ってこのことを話そうと思いましたが、パパに会うのが怖かったので「パパ、総理大臣になれてうれしい?国民を自分の子供より大切にね。」。と書いた手紙をドアの下に入れて、国会議事堂から出ました。その時パパが驚いて「何だこの手紙は!」と(さけんで)叫んでいる声が聞こえました。でも私のことを見られる前に走り去りました。
これで、私の日本での課題が全て終わったので、金曜日アメリカに帰ります。もしアメリカに行って、冷蔵庫からだれかのさびしい泣き声を聞いたら、多分それは私ですが、気にしないでください。
気が遠くなる話
気と言う漢字を考えた時、どんな言葉が思い浮かびますか。
私はよくヨガをしたり瞑想をしたりしているので、気持ちの気と言えば中国医学やオリエンタル風の意味だと考えてしまいます。
最近まで、気圧や換気というあまり幻想的ではない言葉と、気持ちや気分という言葉がぜんぜん結びつきませんでした。
気という言葉を始めて意識したのは、新宿駅で終電に乗ろうとしている人が、その友達に「気をつけて」と言っているのを聞いた時でした。 その後、学校でも、「気」と いう言葉が一般生活に よく使われているということを習いました。
「気」という漢字 を使う言葉はインターネットの ウィキペディアによると11000字以上あるそうです。このスピーチで全部の 言葉を説明したかったのですが時間がありません。
ですので、私たちにとって大切な気の使い方を少しだけ説 明します。
雰囲気というのはレストランやホテルなどの感じを説明する時によく使います。
以前、私は居酒屋をオープンした友達に「あなたの店はすごい不人気ですね」と言ってその友達に泣かれたことがあります。このように気を使う言葉で似た発音のものにも注意が必要です。
この他にも気と一緒に使う言葉があります。
まず、学生の生活は苦しいですが、勉強してばかりいると病気になります。
健康に気をつかってく ださい。 たまにでかけて新鮮な空気を深呼吸して、リラックスするようにしたほうがいいです。
つぎに、最近恋人が忙しくなって、あなた に興味がなくなっています。恋人は別れたいと思っている
ような気がし ます。あなたは彼女に気をつかわなければなりません、たとえ百円だけしかなくても、関係を守るために花を買って、すぐ にあげましょう 。
また、あなたの日本語がまだ上手になっていないのに悪夢のように1000人の知らない学生の前でスピーチをしなければなりません。気を失う前に目をとじてハワイのような所を想像して生気に戻ったらスピーチを続けましょう。
最後に、駅まで恋人を送って行ったとき、気を つけてと言うことを忘れないで。その言葉を聞くと、恋人はいい気分で家に帰れます。
やはり、「気」という言葉は日本語でもっとも使われている必要な言葉のひとつです。今私は約50字の気を使う言葉がわかりますが、今年、のこりの10950字を暗記するつもりです。それで、次のスピーチ大会では、ぜひ私にこの気が遠くなるようなつづきを話させてください。
柴田先生
今日は。マセイスコットです。アメリカのシカゴから来ました。どうぞよろしくお願いします。
今年の四月に日本に着いて日本語を勉強するのを始めました。
日本へ来る前は「今日は」や「ありがとう」という簡単な言葉しか知りませんでした。日本語をもっと話せるようになりたくてアークアカデミーで勉強を始めました。
アークアカデミーに入ってから今まで三人の先生が私に日本語を教えてくれました。7月から9月までは柴田先生が私の先生でした。ですから、このスピーチの33パーセントは柴田先生のおかげでできるようになったものです。
アメリカ人は日本語を勉強するのが難しいと思っています。文法や発音や表現方法などは西洋の言葉と全く違います。何をどうやって勉強すればよいのかわからず、自信をなくしてしまうこともありました。でも、柴田先生はいつも「きっとできる」と私たちに信じさせてくれました。
私が全然わからないとき、柴田先生はわかるまで、ずっと教えてくれました。私が自信をなくしたときも、柴田先生はやさしくはげまして自信を持たせてくれました。ほかの先生がいるのに、いまだに柴田先生にたよって色々と相談しています。
文化や年齢や将来の希望が違う学生に教えるのはとても難しいこととわかっています。とくにアークアカデミーの教える速さは、先生にとっても難しいと思います。でも柴田先生の授業では、いつも楽しく、本当に大切な言葉をたくさん教えてもらいました。
一生の間に恩師と思える人に出会うことは難しいことです。また、恩師になるのも難しいことです。アークアカデミーが終わったら、アメリカへ帰りますが、柴田先生のことは忘れないし、これからも連絡したいと思っています。
柴田先生と出会えて本当にうれしくて感謝しています。
Where
"Where" gets used a little differently in Japanese.
ゆみってどこが好き? = lit.:Where do you like about Yumi?
Meaning: What do you like about her?
The first time someone asked me "where" I liked about my wife, I didn't know how to respond. When her friend saw I didn't under stand she offered some helpful Katakana/English: What are her charm points? チャームポイント. "Charm Points" confused me even more, I had no idea what she was trying to say.
どっか食べに行こう? どこか gets shortened to どっか. It still means Let's go [somewhere] and eat?
Obviously, どっか is informal.
この貧乏のような生活なんて
もういい。
今日、日本へ出発の時までの仕事見つけたと思う。安心して。新しい持ち物:家具や洋服など買いたくないけど最後のフォークも壊したし、好きなジーンズも敗れたし。仕方ないようね。
Not a post with tips about the JLPT
That is the only traffic I get, even though jlpt posts account for about 2% of my volumes of musings. That is what some might call misplaced market focus, since I have little to say about the test, and little desire to speak about it. Some of the bloggers I read would tell me I have discovered a market and should create a product for them. Hmm. I don't know. Here is my advice: to pass the jlpt, go to Japan, and learn Japanese there by using it all the time. Then, since about half of the JLPT1 grammar is rarely used by Japanese people, by Kanzen Master and study that. In fact by the whole series, vocab, kanji, listening... If you can make it through those, you are ok.
I guess this is turning into a post about the test. I guess the last thing I will say is that it is a massive amount of kanji and vocab, so if you aren't reading Japanese for entertainment, it will be like memorizing a dictionary.
I passed level 2, before they redid the test. I think I will take a shot at level 1 next year. I keep thinking that things will calm down.
再生
So it looks like I am heading back to Japan in a few months. So it begins again. Looking over these past posts...the individual moments seem like lifetimes ago, but the time in Japan seems like only yesterday. I am scared about going back, but I will be ok.
When I went in 2006, I was single, still drinking, had saved a bunch of dough.
Now I am married, have a degree (started when I got back. I was 39). Sober. On the other hand, I am broke, college loan looming, no job (I am free-lancing). And adapting to married life and possibly living with my inlaws.
I know there is no sense in stressing about temporary things. Or even future things, as in future stress.
But it's nice to post again. Even if it is to myself.